ロマンと歴史を秘めた山


標高316メ-トル白山火山帯の死火山である。
建部山は遠い昔、天正年間、丹後国主・一色義道はここ建部山に
「建部城」を築き居城したが細川・明智軍との戦いに敗れ、
以後、三百年余り静けさを保っていたが、明治時代に軍港防御の砲台が備えられ、
第2次大戦中は高射砲陣地にも使用された事も有り、・・・
建部山はロマンと歴史を秘めた山です。

旧街道案内図
山椒太夫の屋敷を抜け出し、
厨子王は、国分寺へと逃げ後、和江の旧家ハッチョモン(佐藤八右衛門)
を中心とする村人の協力によって 京に向かい、
安寿は「ふなわたし」を渡り京に向かう途中の「かつえ坂」下東で
息絶え!たと伝えられています!

別名:丹後富士と言われる「建部山(たてべさん)」は、
「諸国採薬記」(元文五年・1740)には、
「竹部山(たけびやま)の麓にあんじゅ姫の古墳あり」とあり、
「たけびやま」と言われていたようです。
又、嘉永四年・1851)の書物には、
「下東村に安寿姫の塚ありと聞く、川下由良近き所山椒太夫の旧跡多し」 とある。このように、安寿塚の伝承は十八世紀中頃にはこの土地に定着し、 語り継がれていたといえます。


建部山堡塁砲台跡


建部山堡塁砲台の跡

建部山ほ塁砲台図


堡塁砲台


夕方、五老ヶ岳に登ぼり丹後富士(建部山)を見ると、
丁度、太陽が沈もうとしていました。とても、美しく感動しました。

五老ヶ岳より建部山


平成13年11月11日:加佐ふるさと塾主催による「建部山登山」が、計画され、
100人を超えるたくさんの方の参加が有り行われました。
安寿姫塚が出発地点になり一部道なき道もあり、
事前準備を重ねられたふるさと塾担当メンバ-の方達の努力の御陰もあり、
好天気も手伝って素晴らしい登山体験が出来、
参加者皆さんにはたいへん好評でした。

建部山登山



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